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Cinema Review

セプテンバー5 | September 5 (2025)

  • 執筆者の写真: Shoji Taniguchi
    Shoji Taniguchi
  • 5月4日
  • 読了時間: 2分


4.4/5.0

スティーブン・スピルバーグ監督の「ミュンヘン (2005)」で描かれた、実際に発生したミュンヘンオリンピック事件 (1972年) について、事件をリアルタイムで中継報道していたテレビクルーの人々の視点から描く、ドイツとアメリカの合作によるサスペンス映画。

スイス出身のティム・フェールバウムが脚本・監督を担っており、アカデミー賞の脚本賞にもノミネートされた作品。


パレスチナの過激派組織「黒い9月」が起こしたテロによって、世界平和の祭典であるオリンピックが中断される。人質達はイスラエル人、事件が発生した場所は西ドイツという状況に、第二次世界大戦において人類が犯した取り返しのつかない罪が思い起こされる。

主要登場人物の中にもそれぞれの出身国から連なるコンテクストがあり、胸が引き裂かれるような緊迫感がある。


主な舞台はテレビ放送の中継ルームに限定されており、極限状況下ということもあって息が詰まるような閉塞感が続く。

信じがたい悲劇に終わった実話をもとに脚本が構成されている以上、作劇上のハッピーエンドは存在しないし、映画的なカタルシスもない。

ただ、堅実で巧みな演出と俳優たち全員の高い演技力があって、約90分の極めて重厚な物語を退屈することなく鑑賞できる。


50年以上前の事件をモチーフにしながらも、現代にも連なる普遍的な問が描かれていると感じたのは、「報道の倫理」がテーマになっているからだ。

史上初となったテロ行為の世界的生中継の裏側ではどんな葛藤があったのか、事件の最前線でそれを報道した人々は何に成功し、そして何を失敗したか。

目の前の状況をありのまま、速報性を何よりも重視して報道する行為に、社会の公器としての正義は貫かれていたのか。

誰もがスマートフォンひとつで即座に世界へ目の前の状況を中継できるようになった現代にあって、再度強く問われるべき倫理観なのだと感じる。

製作者達もきっと、そんな現代だからこそ、この物語が描かれるべきだと考えたのだろう。


今作と「ミュンヘン (2005)」をあわせて鑑賞することで、両作の映画鑑賞体験をより豊かにできるように思う。

ミュンヘンオリンピック事件と、それに対するイスラエル側の報復行為、そして今に至るまで続く憎悪の輪廻は、いつか断ち切られる日が来るのだろうか。

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Shoji Taniguchi | 谷口 昇司

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美術大学にて映像を中心に学び

現在はマーケティング業界で働き中

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