ケナは韓国が嫌いで | Because I hate Korea (2024)
- Shoji Taniguchi
- 8月1日
- 読了時間: 2分
3.2/5.0
韓国の小説家チャン・ガンミョンによる同題の小説を原作とする、ヒューマンドラマ。
ポン・ジュノ監督の「グエムル -漢江の怪物-」に子役として出演していたコ・アソンが主演を、韓国映画界で注目されているチャン・ゴンジェが監督と脚本を担っている。
主人公は真面目に大学を卒業し大手企業で働くが、韓国の文化や習わしに生きづらさを感じ、仕事のやりがいや将来への希望を見いだせず、自身が生まれ育った国を離れニュージーランドに移住することを決意する。
韓国映画といえば、感情と肉体の激しいぶつかり合いやサスペンスフルな心理描写と駆け引き、またはハリウッドにも引けを取らないスペクタクルもしっかりといったイメージがあるが、今作にはそういった内容がほとんど含まれていない。
その代わりに、現代の韓国に生きるひとりの若者のリアリティを冷静な視点と距離から切り取るような演出が光っている。
映画的な起伏が少なく淡々とした作劇であるともいえるが、俳優達の繊細な感情表現や、レイアウトが美しく印象に残るアングルがあり、物語に惹き込まれる。
韓国の若者を主人公として、その逡巡が丁寧に描写されているが、この作品が描いているものは、韓国にとどまらず様々な国の若者たちが抱えている「(何となく) 生きづらい」という曖昧な感情なのだろう。
自分自身もかつて同じことを感じながら鬱屈と働いていたことがあり、その頃が思い出されて苦い気持ちになった。
なんなら、歳を重ねた今でもその感情を完全には払拭できていないかもしれない。
三幕構成と大団円で物語が完結する映画のようには、私達の人生の脚本は用意されていない。
でも自分自身の物語だから、岐路に立つ度に自身が選択し、歩き続けなければいけない。
いつか幸せな場所へたどり着けるかは分からないが、人生の旅を続けない限り、それを見つけることはできない。
物語の山場や結末のカタルシスがほとんど存在しないため、自分好みの作風の映画ではないなとは感じたが、不思議で独特な読後感が残る作品でもあった。
私がこの映画で描かれているテーマに強く共鳴できる世代ではなくなっただけで、主人公と同世代の若者達には響くところが多い作品なのではないか。