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  • ブラック・ミラー シーズン7: ベット・ノワール | Black Mirror Season 7: Bête Noire (2025)

    3.7/5.0 脚本家・プロデューサー・社会評論家としてマルチな才能を発揮する英国出身のクリエイター、チャーリー・ブルッカーが原案と製作総指揮を手掛けるSFアンソロジーで、もともとは英国TV局のChannel 4で放送されていたが、シーズン3からはNETFLIXによって製作・配信されているドラマシリーズ。 イギリス発の作品ということで、いかにもなブリティッシュ・ジョークが効いた巧みな脚本構成が特徴的。 「ベット・ノワール」は、製菓会社で商品開発として働く女性を主人公に描かれる、現実と自我の崩壊についての恐怖。 主人公の職場に中途採用で入社してきた女性は、主人公の高校時代の同級生だったが、2人の間にはある苦い過去が… という不穏な導入。 その後、主人公に些細な記憶違いが増え、それが原因で職場での立場がどんどん危うくなっていく。 記憶していた単語のつづりが間違っていたり、存在を信じて疑わなかったものが全く存在していなかったりといった納得しがたい体験は、多くの人にあるはず。 自分が間違っているとはどうしても思えないのに他者と自分で記憶されている内容が違うと感じる、そんな体験は「マンデラ効果」と呼ばれるが、このエピソードではまさにそのマンデラ効果の違和感が脚本に組み込まれている。 いかにもSFアンソロジーらしい真相が終盤に用意されているが、それに触れることは控えておきたい。 何よりも面白いと感じたのは、このエピソードに出てくるファストフードチェーンの店名のつづりが、視聴する人によってランダムに切り替わる仕掛けが施されているということだ。 映像配信サービスのNETFLIXならではともいえる挑戦的な演出アイデアだし、第四の壁を越える斬新な仕掛けともいえて、とても面白い。 私が視聴した時は、主人公が記憶していたそのチェーン名のつづりは「BARNIES (バーニーズ)」で、主人公以外が持っている記憶は「BERNIES (べーニーズ)」だったが、そのように記憶している視聴者は、もしかしたら私だけなのかも知れない… この文章を読んでいるあなたの体験はどうだろう。 https://filmarks.com/dramas/357/21821/reviews/18895022

  • ブラック・ミラー シーズン7: 普通の人々 | Black Mirror Season 7: Common People (2025)

    4.2/5.0 脚本家・プロデューサー・社会評論家としてマルチな才能を発揮する英国出身のクリエイター、チャーリー・ブルッカーが原案と製作総指揮を手掛けるSFアンソロジーで、もともとは英国TV局のChannel 4で放送されていたが、シーズン3からはNETFLIXによって製作・配信されているドラマシリーズ。 イギリス発の作品ということで、いかにもなブリティッシュ・ジョークが効いた巧みな脚本構成が特徴的。 「普通の人々」は、慎ましく暮らす夫妻を主人公に描かれる、現代社会に定着したサブスクリプションサービスと広告カルチャーへの皮肉とその在り方への問い。 脳腫瘍で寿命が残り僅かと分かった妻を救える唯一の希望は、ハイテク企業が提供する革命的 (だが実験段階) な治療法だった… という導入。 「クローバーフィールド・パラドックス」等に出演してきたクリス・オダウドが夫役を、「ソーシャル・ネットワーク」や「インサイド・ヘッド (声優)」に出演したラシダ・ジョーンズが妻役を演じている。 手術自体は無料だけれど、健康な状態を保つには毎月の利用料が必要で… という説明を夫妻が受けているシーンで、そこに込められている皮肉に思わず苦笑いしてしまう。 何せこのドラマを配信しているNETFLIX自身が、そのサブスクリプションサービスによって成り立っている企業の代表格なのだから。 しかも皮肉はそれだけではなく、最も安いプランを選択した患者は、本人が制御不能なタイミングで場違いなCMのセリフを口にするようになるのだ。 多くの人が体験してきているであろう「いいところで邪魔な広告が… でもプレミアムプランに切り替えるとお金が…」を、人間の生死の問題にオーバーラップするというブラックユーモアに圧倒されてしまった。 中盤以降の展開について詳述するとネタバレになってしまうので避けるが、予想外な結末があり複雑で重い読後感が残る、極めてハイレベルな脚本だと感じた。 SFは現代を写す鏡であるという話があるが、このエピソードはまさしくその通りで、サブスクリプション文化にまみれた現代社会の延長線上に出現しそうな未来への痛烈な風刺となっている。 https://filmarks.com/dramas/357/21821/reviews/18895022

  • ジョーカー: フォリ・ア・ドゥ | Joker: Folie à Deux (2024)

    4.3/5.0 数々のコメディ映画を手掛けてきたトッド・フィリップスが脚本・製作・監督を担い、社会現象といっていいほどの特大ヒットとなった「ジョーカー (2019)」の続篇、というよりは二部作の後篇で、前作から引き続きホアキン・フェニックスが主人公のアーサー・フレック = ジョーカーを演じ、そのパートナー役としてレディー・ガガが出演している。 厳しい財政状況により鬱屈としていた1980年代の米国を舞台に、社会的弱者として虐げられた生活を送る精神不安定な道化師の男がその状況からの脱却を願いながら、不幸が限界まで積み重なった結果、劇的な状況変化が発生し、何者でもなかった男がジョーカーという特異な存在に変貌していく物語が描かれたのが前作だが、大前提としてその前作の鑑賞なしには今作の本質を理解することが極めて難しいように感じる。 アーサー・フレックという主人公に自身の辛い境遇を重ね合わせ共感する人が多かったからこそ、彼が (悪の) カリスマへと上り詰めていく物語にカタルシスがあり、それが前作の評価の高さを下支えする部分でもあったのだろう。 対して今作は、前作でアーサーからジョーカーへと変貌した主人公が、ジョーカーから何者でもないアーサーへと回帰していく物語で、前作にて主人公が獲得したカリスマが次々と悲痛な音を立てながら剥がれ落ちていき無防備で脆弱なアーサーが再び顕在するという、前作とは真逆の構造になっている。 よって、前作においてジョーカーという特異な存在の誕生とその唯一無二なカリスマ性に自己を投影しカタルシスを得た鑑賞者であればあるほど、今作のように夢も救済もない現実を突きつけられるような物語は観たくなかったと失望してしまうだろうと感じる。 正確には、少なくとも夢については、今作においてたっぷりと可視化されている。 アーサーと、レディー・ガガが演じるリー (原作のDCコミックスにおけるハーレイ・クイン) による共同幻想的なミュージカルシーンの数々がそれだ。 それらのシーンの演出は劇伴や歌唱の素晴らしさもあってとても見応えがありながら、どこか空虚かつハリボテのようにも見えて現実逃避的でもあり、それを夢想するアーサーという人間の知性と教養の限界をも同時に感じさせるという、非常に複層的でハイコンテクストな演出になっている。 リーはある意味で我々観客と同じく、アーサー = ジョーカーを抑圧された社会構造の破壊者と崇める存在として登場するが、アーサーが自身の限界に気づきジョーカーというカリスマ性を保てなくなってきたと見るや、無価値な存在だと見做し容赦なく見捨てる。 リーが見つめ続けていたのはジョーカーというカリスマであり、アーサーという人間ではなかった。 では我々鑑賞者はどうだろうか? アーサーという人間の苦悩からの脱却や成長よりも、ジョーカーの破滅的カリスマの顕現を期待していたのではないか? 前作から引き続き脚本・監督を手掛けたトッド・フィリップスが、今作を鑑賞する観客の反応を予見し、その非情をリーという存在に投影しながら演出していたかのようにすら感じる。 「フォリ・ア・ドゥ (共有精神病性障害)」という副題は、劇中においてはアーサーとリーが夢想した悪のカリスマ達 (ジョーカーとハーレイ・クイン) が君臨する世界と解釈することができる。 が、トッド・フィリップス監督の真の意図は、前作における主人公の物語や存在を過度に神格化し、我々の実社会へも (架空の存在であるジョーカーの言動を模倣する者達の登場によって) 侵食するほどの影響そのものを指して、それこそが我々の社会が内包する巨大で虚しい幻想であり病なのだと切り捨てることだったのではないか。 世間の評価が真っ二つに分かれることが初めから宿命であったかのような、極めて特殊な作品だ。 私は前作・今作を合わせた二部作としての物語構造の美しさに感銘を受けたし、とても価値のある映画だと感じる。 https://filmarks.com/movies/104708/reviews/190967999

  • 映画コラム: ウィルヘルムの叫び | Wilhelm Scream

    効果音は、映画を構成する重要な演出要素だ。 視覚効果や劇伴と比較するとなかなか注目されにくい効果音だが、その存在価値の高さが確立されたのは、1977年に公開された「スター・ウォーズ 新たなる希望」だといわれている。 サウンドデザイナーという職種を初めて名乗り、映画業界にその役職を定着させた功績を持つベン・バートによって生み出されたライトセーバーの動作音や様々なキャラクター達の声、そして戦闘機や戦艦が宇宙空間を移動する際の轟音といった数々のオリジナリティに溢れる効果音は、スター・ウォーズというシリーズが持つ唯一無二の世界観を構築する大切な要素といえる。 そのベン・バートが映画業界に定着させた、もうひとつの文化 (ミーム) がある。 「ウィルヘルムの叫び | Wilhelm Scream」と呼ばれる、男性が絶叫する効果音だ。 名称だけではピンとこなくとも、その実際の声を耳にすれば「どこかで聴いた気がする!」と感じる人が多いはず。 その起源は1951年の映画「遠い太鼓 | Distant Drums」にまで遡る。 ある兵士が劇中でワニに襲われ水中に引きずり込まれる際に発する悲鳴として録音された「ワニに噛まれた男が叫ぶ | Man getting bit by an alligator, and he screams」という効果音が、後に「ウィルヘルムの叫び」と呼ばれるミームの原典。 その悲鳴を演じたのは、当時俳優やカントリー・ミュージシャンとして活躍していたシェブ・ウーリーという人物らしい。 その2年後の1953年に公開された「フェザー河の襲撃 | The Charge at Feather River」という西部劇映画に登場する、ウィルヘルムという名前の兵士が矢で太ももを撃たれた際に「ワニに噛まれた男が叫ぶ」の効果音が再び使用されたことから、「ウィルヘルムの叫び」という名称が映画業界に定着したのだという。 名称の定着以降、「ウィルヘルムの叫び」は1950〜60年代の様々な映画で使われてきたが、それが一気に知名度をあげることになったきっかけは、冒頭にあげた「スター・ウォーズ 新たなる希望 (1977)」だ。 ベン・バートは、主人公達と敵対する銀河帝国の兵士が足場から転落する際の断末魔の叫びに「ウィルヘルムの叫び」を使い、それは様々な効果音が開発・使用された同作の劇中でも特に耳に残る強い存在感を放っていた。 幼少期に「スター・ウォーズ 新たなる希望」を鑑賞した自分も、子どもごころに「なんだかすごく奇妙な声をあげながら落ちていった兵士がいたなぁ」と感じ、その後も長く記憶していたほどだ。 ベン・バートはその後に製作へ参加した作品でも「ウィルヘルムの叫び」を好んで使い続け、「インディ・ジョーンズ」や「グレムリン」といった有名映画でも「ウィルヘルムの叫び」を聴くことができる。 この「ウィルヘルムの叫び」を使う行為がハリウッド映画業界内のジョークとして浸透し、映画マニアとして有名なクエンティン・タランティーノといった映画監督や、新しい表現手法の確立に挑戦し続けつつ映画の伝統も重んじるピクサー作品のサウンドデザイナー達の間でも、自身の作品に「ウィルヘルムの叫び」を忍び込ませるという遊びが流行した。 そして、映画だけではなくテレビ番組やゲームにまでその遊びが広がり、これまでに確認されたものだけでも、400以上もの作品で「ウィルヘルムの叫び」が使用されているという。 映画の物語の本筋とは全く関連しないミームでありながら、映画をこよなく愛する製作者達と鑑賞者達だけが無言のアイコンタクトで以心伝心できるような、ささやかな遊びが「ウィルヘルムの叫び」だ。 「ウィルヘルムの叫び」は今も様々な作品で使われているが、いつ聴こえてくるか予測できないので、油断は禁物だ。 その声が聴こえると、いつも不意打ちに驚かされると同時に、ニヤニヤと笑ってしまう。 そして、こういった製作者達のイースターエッグ的なおふざけがベン・バートという偉大なクリエイターによって定着し、映画という巨大な文化の中で今も続いていることを、とても面白いと感じる。

  • 宇宙探索編集部 | Journey to the West (2023)

    4.9/5.0 中国の若手映画監督コン・ダーシャン (孔大山) による初の長編で、中国の映画祭で多数受賞しただけでなくアジア各国の映画祭でも話題になった作品。 SF雑誌「宇宙探索」編集長の主人公が、中国の辺境にある村で発生した怪現象の真相解明のため、その編集部員達を連れて現地へと旅する物語。 80〜90年代に実際に存在した宇宙ブーム時代に創刊された「宇宙探索」の編集部が、いまや廃刊寸前の困窮状態という、いきなりピンチな導入からぐっと惹き込まれる。 宇宙人の存在探求に人生を注いだ (注ぎ過ぎてしまった) 主人公が完全に浮世離れしてしまっていることに対し、いい加減に現実と向き合えと冷たくあたりながらも、そんな主人公にずっと寄り添い続けてきたのだろうと分かる編集部員のキャラクターがとてもいい。 どう見ても人間としてギリギリな主人公を筆頭に、誰ひとりまともではなさそうな他登場人物達への愛ある描かれ方が素晴らしい。 描かれるほとんど全ての人物やモチーフが情けない空気を纏っていて、終始真剣な主人公とダサ過ぎる状況のギャップで起きる気まずい空気が本当に面白く、一般的なコメディ映画とは趣が異なった笑えるシーンが何度もある。 中国の代表的な物語「西遊記」の英題「Journey to the West」が副題に添えられてある通り、一行による中国西部への奇妙な旅がドキュメンタリーを模したスタイルで描かれるのだが、そこで映し出される中国辺境の村々の埃っぽさや圧倒的なスケールのロケーションがとても魅力的。 主人公のキャラクターの参照元は三蔵法師で、旅の途中で一行に合流する謎めいた予言青年は孫悟空、そして三蔵法師が天竺で授かる経典の教えが、今作において主人公がどうしても知りたいと願い、宇宙人に取材したかった真理なのだろう。 作品のタッチは一見オフビートなロードムービーで、手持ちカメラによるドキュメンタリータッチの画づくりをベースとしていて、撮影と編集の知識を持たない素人が製作したように見える稚拙なアングルやジャンプカットが多くありながら、実はカットの連続性や視点誘導等が計算されていて、物語に没入できるよう徹底的に配慮されている演出に驚かされる。 それに加えて、各章の扉画や重要なシーンでは、ドキッとするほど美しいアングルとレイアウトが唐突に入ってくる。 アートディレクションとテンポの緩急を完全に理解した製作者達による、作品全体を俯瞰で捉えたうえでのハイレベルな演出設計だ。 楽曲に関する演出センスも全篇を通して秀逸で、オープニングタイトルで流れるショスタコーヴィチのワルツ第2番 (キューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」でも使われている) の使われ方も皮肉的に壮大で楽しいが、エンディングで流れるスー・ユンイン (蘇運瑩) というシンガーソングライターによる「生活倒影」の歌詞と旋律が作品鑑賞後の読後感をより強くし、また涙が出るほど感動してしまった。 なぜ主人公が狂信的なまでに宇宙人の存在に固執し、その存在との邂逅を願ってやまないのか。 序盤においては劇中の登場人物達と同じように理解も共感も難しく、憎めない変人といった視点から鑑賞していたが、終盤においてはその真意が分かると同時に、涙が出るほど共感してしまった。 私たちが宇宙に存在する意味とは何かという、極めてSF的でありながら人間にとって原初の謎に対して主人公が最後に見出す答えが、素晴らしく詩的で、このうえなく美しい。 この映画の物語が詩そのものであるといってもいいだろう。 観る人を選ぶ種類の作品かも知れないとは思いつつ、センス・オブ・ワンダーが秘められた物語が大好きで、かつカッコいい人々の成功譚よりもダサい人々の哀愁ある物語を好む自分にとっては、これからも何度も観返したいと思う、とても大切な作品になった。 https://filmarks.com/movies/102086/reviews/189325276

  • ロボット・ドリームズ | Robot Dreams (2023)

    4.2/5.0 米国の作家サラ・バロンによる同題のグラフィックノベルを原作とする、スペイン・フランス合作のアニメーション映画。 監督を務めたスペイン出身のパブロ・ベルヘルにとっては、今作が初の長編アニメーション作品とのこと。 舞台は1980年代のニューヨーク、孤独を感じながら都会に暮らす主人公は犬で、名前もドッグ。 もうひとりの主人公ともいえるロボットとドッグの出会い、友情、もしくは愛情が、セリフやナレーションを一切排した演出で丁寧に描かれる。 あるきっかけからドッグとロボットが離ればなれになってからが物語の核心ともいえるが、その描かれ方がとても秀逸。 表情や楽曲で悲壮感を前面に出すような貧相な演出では全くなく、むしろ状況や心境の変化が淡々と描かれるからこそ、切なさの輪郭がより明確に見えてくる。 ドッグとロボットが2人で過ごしていた頃の、慎ましくささやかな幸せの描写との演出の落差が巧み。 作品タイトルの意味が少しずつ理解できてくる展開に、心が苦しくなる。 どんな理由がそこにあったにせよ、大切に想っていた誰かと離れて暮らすうちに、それぞれの事情や感情は変化していく。 愛は憎しみに変わるといった単純な話ではなく、想いは残りながらそれ以外の感情に形を変えることも、他の誰かに対してより大きな想いを寄せることになる場合もあるのだ。 そんな感情の機微のリアリティがドッグとロボットを通して繊細に描かれていて、どちらのキャラクターに対しても共感する部分があり、心を打たれた。 何よりも、劇中で印象的に用いられるアース・ウィンド&ファイアーの名曲「セプテンバー」は、この作品を鑑賞した多くの人の心に残るだろう。 曲調の素晴らしさと切なさはもとより、その歌詞は、ドッグとロボットが過ごしたかけがえのない日々そのものを描いているように感じる。 https://filmarks.com/movies/112460/reviews/200966599

  • ファンタスティック4: ファースト・ステップ | The Fantastic Four: First Steps (2025)

    3.8/5.0 マーベル・スタジオが製作・展開するマーベル・シネマティック・ユニバース (MCU) に属する37作品目の映画で、同タイトルはこれまで何度か20世紀FOXによって実写映画化されてきたが、マーベル・スタジオによって製作されるのは今回が初めて。 ペドロ・パスカル、ヴァネッサ・カービー、ジョセフ・クインといった豪華なスター俳優達が出演し、MCUドラマ「ワンダヴィジョン」を手掛けたマット・シャクマンが監督を担っている。 マルチバース (並行宇宙) 設定が取り入れられている現在のMCUならではだなと感じたが、今作の主な舞台は地球ではあるものの、これまでのMCUで舞台になってきた地球とは別の世界で、1960年代風のファッションやカルチャーと超未来的な科学技術が同時に存在している。 「アイアンマン (2008)」から現在まで長大な歴史を描いてきたMCUの世界に、マーベルコミックスにおける最古参のヒーローチームであるファンタスティック4の存在が今から入り込む余地などないように思えたが、この設定の活用の仕方は上手いなと感じた。 MCUの世界に既に多数存在する他のキャラクター達やシリーズのこれまでの歴史との整合性を気にすることなく、独立性の高い物語を描くことができるからだ。 実際、今作の物語の展開はとてもシンプルだし、昨今何かと (主にネガティブな) 話題にされがちな「作品鑑賞前に他の作品群を山ほど予習しなければいけない問題」を回避できている。 シルバーサーファーやギャラクタスといった、マーベルコミックスにおける人気キャラクターがヴィランとして登場する脚本やその描かれ方にはケレン味があって楽しかったが、良くも悪くもウェルメイドで優等生的でもあるなぁという印象。 期待通りの面白さや満足感はあったのだけれど、期待を越える興奮があったとまではいえないというか… 画づくりについては、これまでのMCU作品とはひと味違ったポップでビビッドなカラーリングや、懐かしくも新しいガジェットやメカのデザインに原初的な楽しさがあったが、ビシッとクールなアングルで決めて欲しいタイミングで緩くダレたアングルのカットが続いたりで、少しもったいないなと感じるシーンがいくつかあった。 MCU映画シリーズの展開としては、現在MCUで進行しているマルチバースサーガの大型クロスオーバーにして総決算Part1となる「アベンジャーズ: ドゥームズデイ」の公開が2026年12月と近づいてきているが、今作で登場したキャラクター達がどのような形でそこへ参加していくのか、どんな物語が展開するのかが楽しみだ。 期待通りの面白さ、だと長年のファンとしては寂しいので、期待を越えてほしい… できれば大きく越えてほしい。 https://filmarks.com/movies/104530/reviews/200963381

  • ケナは韓国が嫌いで | Because I hate Korea (2024)

    3.2/5.0 韓国の小説家チャン・ガンミョンによる同題の小説を原作とする、ヒューマンドラマ。 ポン・ジュノ監督の「グエムル -漢江の怪物-」に子役として出演していたコ・アソンが主演を、韓国映画界で注目されているチャン・ゴンジェが監督と脚本を担っている。 主人公は真面目に大学を卒業し大手企業で働くが、韓国の文化や習わしに生きづらさを感じ、仕事のやりがいや将来への希望を見いだせず、自身が生まれ育った国を離れニュージーランドに移住することを決意する。 韓国映画といえば、感情と肉体の激しいぶつかり合いやサスペンスフルな心理描写と駆け引き、またはハリウッドにも引けを取らないスペクタクルもしっかりといったイメージがあるが、今作にはそういった内容がほとんど含まれていない。 その代わりに、現代の韓国に生きるひとりの若者のリアリティを冷静な視点と距離から切り取るような演出が光っている。 映画的な起伏が少なく淡々とした作劇であるともいえるが、俳優達の繊細な感情表現や、レイアウトが美しく印象に残るアングルがあり、物語に惹き込まれる。 韓国の若者を主人公として、その逡巡が丁寧に描写されているが、この作品が描いているものは、韓国にとどまらず様々な国の若者たちが抱えている「(何となく) 生きづらい」という曖昧な感情なのだろう。 自分自身もかつて同じことを感じながら鬱屈と働いていたことがあり、その頃が思い出されて苦い気持ちになった。 なんなら、歳を重ねた今でもその感情を完全には払拭できていないかもしれない。 三幕構成と大団円で物語が完結する映画のようには、私達の人生の脚本は用意されていない。 でも自分自身の物語だから、岐路に立つ度に自身が選択し、歩き続けなければいけない。 いつか幸せな場所へたどり着けるかは分からないが、人生の旅を続けない限り、それを見つけることはできない。 物語の山場や結末のカタルシスがほとんど存在しないため、自分好みの作風の映画ではないなとは感じたが、不思議で独特な読後感が残る作品でもあった。 私がこの映画で描かれているテーマに強く共鳴できる世代ではなくなっただけで、主人公と同世代の若者達には響くところが多い作品なのではないか。 https://filmarks.com/movies/112843/reviews/200960684

  • 映画コラム: お役に立てれば幸いです | One is glad to be of service

    「アンドリューNDR114」というSF映画が大好きだ。 原題は「Bicentennial Man (二百歳の男)」で、 原作小説はSFの巨人、アイザック・アシモフ。 (これ以降に映画と小説のネタバレがあるのでご注意ください) 人間に奉仕するために生まれた (製造された) アンドロイドが、 少しずつ個性とものづくりの才能を発揮しはじめて、人間として生きることに憧れ、 努力し続ける話だ。 主人公の「アンドリュー」ことNDR114を演じるのは、ロビン・ウィリアムズ。 すっとぼけた顔でドジも踏みまくるこのアンドロイドの、仕事の後の決まり文句は、 「お役に立てれば幸いです (One is glad to be of service)」 いつもの過剰に陽気なコメディアンの演技はずいぶん抑えられていて、 (ステレオタイプなアンドロイドなので激しく動くのも無理だし) でもやっぱり ロビン・ウィリアムズにしか表現できないお茶目さが演技のそこかしこに溢れている。 彼が主演した数々の映画の中では、この作品はとてもマイナーな方だけれど、 私にとっての最高のロビン・ウィリアムズは、この映画の彼だ。 人間として認められることを目標に、 見た目も心も少しずつ人間に (生身のロビン・ウィリアムズに) 近づいていくアンドリューのひたむきな姿に、しんみりとした感動を覚える。 人間として生きることとは、仕えた家族の皆がそうだったように 歳を重ね老いて死ぬことでもあると考えたアンドリューは、 アップデートさせ続けた自分の身体に「老衰」の機能まで取り入れて、 自身を人間と認めてくれるよう、人類に訴える。 そうやって努力し続けた彼が、最期に自分の「人生」を振り返り、 精一杯生きた日々に満足して死 (機能停止) を受け入れようとする時、 人類は彼を人間として認めることが世界に発表される、という物語だ。 ロビン・ウィリアムズはそのコメディアンとしての卓越した才能で、 世界中の人々に笑顔をもたらしてくれた。 ただその一方で、アルコール依存症を患って心を病んだり、 すごく真面目に慈善団体の支援に力を注いでいたりもした。 悲しいこと辛いことをたくさん経験しているからこそ、 笑うこと、笑えることの大切さも身に染みて分かっていたのではないか。 そして幸せな日々への憧れも強かったのではないだろうか。 彼のむちゃくちゃに笑える演技をもう観られないのは寂しい。 そして彼がアンドリューと同じように安らかな最期を迎えられなかったことが、 とても悲しい。 でもきっと彼はアンドリューと同じく、 人間として立派に生きることを必死に考え続けながら、 精一杯、全力で彼の生涯を生き抜いたのだろう。 それは間違いなく素晴らしい人生だったのだろう。 本当に人間らしい、光と影のある人生を送ったのだろう。 不完全ではあってもよく生きようと努力し続けること、 むしろその不完全なところにこそ人間の価値があるのだと この映画から教わったように思う。 彼が遺してくれた映画の中で彼はずっと生き続け、 これからもずっと、これから生まれる人たちも含めて、 たくさんの人々の心の支えとなっていくだろう。 「お役に立てれば幸いです」 幸せにしていただいたのは私の方です。

  • ブルース・ブラザース | The Blues Brothers (1980)

    4.5/5.0 コメディアンのジョン・ベルーシとダン・エイクロイドが米国のTV番組「サタデー・ナイト・ライブ」内で演じたキャラクターをもとに2人が主演するミュージカル・コメディとして映画化された作品で、マイケル・ジャクソンの伝説的ともいえる「スリラー」のミュージックビデオを手掛けたジョン・ランディスが監督を担っている。 孤児院で育てられ立派なろくでなしとして成長したブルース兄弟が、その孤児院の閉鎖の危機と救済のために大金が必要なことを知り、「神の啓示」を受け、自分達が活動していたバンド「ブルース・ブラザーズ」を再結成し、かつてのバンドメンバーと資金集めのために奔走するという物語。 何よりも、数々のミュージカルシーンの完成度が素晴らしく高い。主演の2人の歌唱力と演技力はもちろんのこと、R&Bやソウルの伝説クラスのアーティスト達の歌唱と演技が大変に魅力的で、その何もかもが楽しい。 ジェームズ・ブラウン、キャブ・キャロウェイ、アレサ・フランクリン、レイ・チャールズ、他多数… これほどまでに豪華な共演は二度と実現しないのではと感じるほど。 多数の出演者を的確にアンサンブルとして構成し写し取るジョン・ランディス監督の演出力もキレキレに冴え渡っている。 ミュージカルパート以外では、ド派手を通り越してどう考えても過剰過ぎるカーチェイスアクションが印象的。 そして兄弟をつけ狙う「謎の女」として要所に登場するキャリー・フィッシャー (「スター・ウォーズ」のレイア姫を演じた俳優といえば知らない人は少ないだろう) が巻き起こす破滅的なカオスも面白い。 劇場公開から半世紀近い時を経てもなお、音楽映画の金字塔として愛され続けていることにも納得できる、自分にとって宝物のような作品。 https://filmarks.com/movies/38327/reviews/152633856

© 1998-2026 Shoji Taniguchi

Kazari
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