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- ブラック・ミラー シーズン7: 宇宙船カリスター号: インフィニティの中へ | Black Mirror Season 7: USS Callister: Into Infinity (2025)
3.8/5.0 脚本家・プロデューサー・社会評論家としてマルチな才能を発揮する英国出身のクリエイター、チャーリー・ブルッカーが原案と製作総指揮を手掛けるSFアンソロジーで、もともとは英国TV局のChannel 4で放送されていたが、シーズン3からはNETFLIXによって製作・配信されているドラマシリーズ。 イギリス発の作品ということで、いかにもなブリティッシュ・ジョークが効いた巧みな脚本構成が特徴的。 「宇宙船カリスター号: インフィニティの中へ」は、オンラインゲームと現実世界を往復しながら描かれる、ドタバタSFコメディ。 「FARGO/ファーゴ」や「ザ・ペンギン」等のドラマに出演し活躍するクリスティン・ミリオティが主人公を、「ブレイキング・バッド」や「シビル・ウォー アメリカ最後の日」で強烈な印象を残した (マット・デイモンのそっくりさんとも言われる) 個性派俳優のジェシー・プレモンスが、ある重要人物を演じている。 ブラック・ミラーシリーズのエピソードは基本的に一話完結形式だけれど、今作はシリーズ史上初の続篇。 (前作でいろいろあって) スペースオペラな世界観のオンラインゲームの世界で密やかに生きている主人公達が、ゲーム内でも現実世界でも注目を集めてしまい、その存在が危ぶまれていく。 主人公達は物理的な肉体を持たないが、彼らは実在の人間達のDNAから生まれたデジタルクローンで、ゲーム世界と現実世界で違う人格の同一人物が同時に存在しているのだ。 オンラインゲームの世界観が名作SFシリーズ「スター・トレック」へのオマージュに満ちていることは前作から変わらずだけれど、今作ではあまりその設定が活用されず、表層的な部分にとどまってしまっていたところは少し残念。 ただ、主人公役のクリスティン・ミリオティをはじめとする俳優達の、2つの世界で全く違う人格の演じ分けはすごく面白い。 こちらの世界ではクズでもあちらの世界では違って、いやそうでもなくて、でもちょっとは違って… という複雑な展開が予測不能でニヤニヤしてしまった。 結末はまるで古典SF小説のオチにあるような内容で、そんな感じで終わるのか〜と意外だったが、なるほどとも感じた。 このエピソードの人気次第では、さらなる続篇もありそう。 https://filmarks.com/dramas/357/21821/reviews/18895022
- ブラック・ミラー シーズン7: ユーロジー | Black Mirror Season 7: Eulogy (2025)
4.3/5.0 脚本家・プロデューサー・社会評論家としてマルチな才能を発揮する英国出身のクリエイター、チャーリー・ブルッカーが原案と製作総指揮を手掛けるSFアンソロジーで、もともとは英国TV局のChannel 4で放送されていたが、シーズン3からはNETFLIXによって製作・配信されているドラマシリーズ。 イギリス発の作品ということで、いかにもなブリティッシュ・ジョークが効いた巧みな脚本構成が特徴的。 「ユーロジー」は、ひとりの老人と保管されていた写真達を通して描かれる、とある人物の人生の回顧録。 「プライベート・ライアン」や「トゥルーマン・ショー」等に出演してきた名優ポール・ジアマッティが主人公を、「ミッキー17」に出演していたパッツィ・フェランがその対話相手かつ重要な役回りとなる存在を演じている。 かつて共に過ごした恋人の訃報を知った主人公が、ある画期的なサービスを用いてその記憶を辿ることを決意する。 それは、現存する写真の世界へ入り込み、再現された過去世界の中で曖昧だった記憶を思い出すという心の旅だった… という導入は、極めてSF的な仕掛けでありながらクラシックな趣もあってぐっと惹き込まれる。 封印していた記憶が甦ってくるにつれ、主人公の心情と物語が大きく動いていく。 現代社会への皮肉と風刺がベースにあってバッドエンドが多いブラック・ミラーのシリーズの中では、このエピソードはとても異色。 ハッピーエンドとはいえないけれど、人生とは何なのかという重いテーマにまで勇敢に踏み込んでいて、苦みや哀しみだけではない複雑な読後感がある。 成功や幸せな瞬間といったハイライトだけでなく、失敗や後悔といったローライトもあってこそ、人生が立体的になり、そこに意味が生まれるということなのだろう。 ポール・ジアマッティとパッツィ・フェランの名演が、それを静かに語りかけてくる。 静かな感動と余韻が残る、とても素敵なSF中篇だった。 https://filmarks.com/dramas/357/21821/reviews/18895022
- ブラック・ミラー シーズン7: ホテル・レヴェリー | Black Mirror Season 7: Hotel Reverie (2025)
3.9/5.0 脚本家・プロデューサー・社会評論家としてマルチな才能を発揮する英国出身のクリエイター、チャーリー・ブルッカーが原案と製作総指揮を手掛けるSFアンソロジーで、もともとは英国TV局のChannel 4で放送されていたが、シーズン3からはNETFLIXによって製作・配信されているドラマシリーズ。 イギリス発の作品ということで、いかにもなブリティッシュ・ジョークが効いた巧みな脚本構成が特徴的。 「ホテル・レヴェリー」は、映画業界を舞台に描かれる、時代と次元を越える愛の可能性についての物語。 「バービー」や「スパイダーマン: アクロス・ザ・スパイダーバース (声優)」に出演していたイッサ・レイが主人公を、「デッドプール&ウルヴァリン」でヴィランを演じたエマ・コリンがその相手役を、「シャン・チー / テン・リングスの伝説」のオークワフィナがいかがわしい映画プロデューサーを演じており、出演俳優達が豪華。 モノクロフィルム時代のロマンス映画として有名な「ホテル・レヴェリー」のリメイク企画が立ち上がり、俳優としてハリウッドで働く主人公が契約内容をよく確認せずそれに参加するが、そのリメイクの手法は従来のやり方と全く異なった画期的なもので… という導入に、ぐっと惹き込まれる。 その手法とは、映画の舞台セットをまるごとバーチャル空間内に構築し、その世界に存在するAIベースで挙動する人物達と共演するというものだった。 ただ、画期的過ぎるその製作手法には予測不能なリスクもあり、製作者達が思い描いていた通りには撮影が進まず、現実世界と映画世界をまたいだ混乱が拡大していく。 結末はある程度予想がつき、脚本にいくつか粗があるなとも感じたけれど、往年の名作映画へのオマージュと少し先の未来で実現しそうなテクノロジーが掛け合わされた物語構造には斬新さがあり、演出スタイルにも気品が感じられた。 進化し続けるテクノロジーの在り方への問いが重く残る、SFアンソロジーらしい結末も印象的。 それにしても、オークワフィナは相変わらず画面に登場するだけで強烈な存在感を放つスター性がある俳優だと再確認したが、今作においてはそのキャラクターが存分に活かされておらず、少し損な役回りを担っているようにも感じた。 映画世界の中で可憐なマダム (だと自身を信じて疑わないAI) を演じるエマ・コリンの美しさと存在感は圧倒的で、オードリー・ヘップバーンといった伝説級の俳優を想起させるほどの力があった。 https://filmarks.com/dramas/357/21821/reviews/18895022
- ブラック・ミラー シーズン7: おもちゃの一種 | Black Mirror Season 7: Plaything (2025)
3.7/5.0 脚本家・プロデューサー・社会評論家としてマルチな才能を発揮する英国出身のクリエイター、チャーリー・ブルッカーが原案と製作総指揮を手掛けるSFアンソロジーで、もともとは英国TV局のChannel 4で放送されていたが、シーズン3からはNETFLIXによって製作・配信されているドラマシリーズ。 イギリス発の作品ということで、いかにもなブリティッシュ・ジョークが効いた巧みな脚本構成が特徴的。 「おもちゃの一種」は、ゲームの世界を通して描かれる、生命の定義についての問いとその進化についての物語。 「ザ・スーサイド・スクワッド "極" 悪党、集結」や「ドクター・フー」のピーター・カパルディとスコットランド出身の若手俳優ルイス・グリッベンが、年老いた主人公と若き日の主人公を2人1役で演じている。 万引き未遂をきっかけに逮捕されたみすぼらしい男が、警察の取り調べに対し、何十年にもわたる自身の物語を "自供" する。 ゲーム雑誌の記者として働いていた彼は、カリスマ的な人気を誇るゲーム開発者への取材時に、その開発者の最新作を出来心で持ち帰ってしまう。 それはゲームの新作という枠を大きく越えた、デジタル生命体をPC内で育成するソフトウェアだった… という導入は、SF好きの自分にはゾクゾクするほど面白かった。 今やすっかり老人となった男は、デジタル生命体達との対話を通して何を知り、どのような使命を自身に課したのか。 彼が過去に犯した罪とは何か。まるで意図的に逮捕されたようにも思える彼の、本当の願いとは何なのか。 現在と過去を往復しながら少しずつ真相が見えてくる脚本構成が巧み。 結末は予想がついたけれど、そこに至るまでの展開やミステリー演出の上手さもあって、上質なSF小説短篇を読み終えた時のような読後感が残った。 https://filmarks.com/dramas/357/21821/reviews/18895022
- ブラック・ミラー シーズン7: 普通の人々 | Black Mirror Season 7: Common People (2025)
4.2/5.0 脚本家・プロデューサー・社会評論家としてマルチな才能を発揮する英国出身のクリエイター、チャーリー・ブルッカーが原案と製作総指揮を手掛けるSFアンソロジーで、もともとは英国TV局のChannel 4で放送されていたが、シーズン3からはNETFLIXによって製作・配信されているドラマシリーズ。 イギリス発の作品ということで、いかにもなブリティッシュ・ジョークが効いた巧みな脚本構成が特徴的。 「普通の人々」は、慎ましく暮らす夫妻を主人公に描かれる、現代社会に定着したサブスクリプションサービスと広告カルチャーへの皮肉とその在り方への問い。 脳腫瘍で寿命が残り僅かと分かった妻を救える唯一の希望は、ハイテク企業が提供する革命的 (だが実験段階) な治療法だった… という導入。 「クローバーフィールド・パラドックス」等に出演してきたクリス・オダウドが夫役を、「ソーシャル・ネットワーク」や「インサイド・ヘッド (声優)」に出演したラシダ・ジョーンズが妻役を演じている。 手術自体は無料だけれど、健康な状態を保つには毎月の利用料が必要で… という説明を夫妻が受けているシーンで、そこに込められている皮肉に思わず苦笑いしてしまう。 何せこのドラマを配信しているNETFLIX自身が、そのサブスクリプションサービスによって成り立っている企業の代表格なのだから。 しかも皮肉はそれだけではなく、最も安いプランを選択した患者は、本人が制御不能なタイミングで場違いなCMのセリフを口にするようになるのだ。 多くの人が体験してきているであろう「いいところで邪魔な広告が… でもプレミアムプランに切り替えるとお金が…」を、人間の生死の問題にオーバーラップするというブラックユーモアに圧倒されてしまった。 中盤以降の展開について詳述するとネタバレになってしまうので避けるが、予想外な結末があり複雑で重い読後感が残る、極めてハイレベルな脚本だと感じた。 SFは現代を写す鏡であるという話があるが、このエピソードはまさしくその通りで、サブスクリプション文化にまみれた現代社会の延長線上に出現しそうな未来への痛烈な風刺となっている。 https://filmarks.com/dramas/357/21821/reviews/18895022
- ブラック・ミラー シーズン7: ベット・ノワール | Black Mirror Season 7: Bête Noire (2025)
3.7/5.0 脚本家・プロデューサー・社会評論家としてマルチな才能を発揮する英国出身のクリエイター、チャーリー・ブルッカーが原案と製作総指揮を手掛けるSFアンソロジーで、もともとは英国TV局のChannel 4で放送されていたが、シーズン3からはNETFLIXによって製作・配信されているドラマシリーズ。 イギリス発の作品ということで、いかにもなブリティッシュ・ジョークが効いた巧みな脚本構成が特徴的。 「ベット・ノワール」は、製菓会社で商品開発として働く女性を主人公に描かれる、現実と自我の崩壊についての恐怖。 主人公の職場に中途採用で入社してきた女性は、主人公の高校時代の同級生だったが、2人の間にはある苦い過去が… という不穏な導入。 その後、主人公に些細な記憶違いが増え、それが原因で職場での立場がどんどん危うくなっていく。 記憶していた単語のつづりが間違っていたり、存在を信じて疑わなかったものが全く存在していなかったりといった納得しがたい体験は、多くの人にあるはず。 自分が間違っているとはどうしても思えないのに他者と自分で記憶されている内容が違うと感じる、そんな体験は「マンデラ効果」と呼ばれるが、このエピソードではまさにそのマンデラ効果の違和感が脚本に組み込まれている。 いかにもSFアンソロジーらしい真相が終盤に用意されているが、それに触れることは控えておきたい。 何よりも面白いと感じたのは、このエピソードに出てくるファストフードチェーンの店名のつづりが、視聴する人によってランダムに切り替わる仕掛けが施されているということだ。 映像配信サービスのNETFLIXならではともいえる挑戦的な演出アイデアだし、第四の壁を越える斬新な仕掛けともいえて、とても面白い。 私が視聴した時は、主人公が記憶していたそのチェーン名のつづりは「BARNIES (バーニーズ)」で、主人公以外が持っている記憶は「BERNIES (べーニーズ)」だったが、そのように記憶している視聴者は、もしかしたら私だけなのかも知れない… この文章を読んでいるあなたの体験はどうだろう。 https://filmarks.com/dramas/357/21821/reviews/18895022
- ジョーカー: フォリ・ア・ドゥ | Joker: Folie à Deux (2024)
4.3/5.0 数々のコメディ映画を手掛けてきたトッド・フィリップスが脚本・製作・監督を担い、社会現象といっていいほどの特大ヒットとなった「ジョーカー (2019)」の続篇、というよりは二部作の後篇で、前作から引き続きホアキン・フェニックスが主人公のアーサー・フレック = ジョーカーを演じ、そのパートナー役としてレディー・ガガが出演している。 厳しい財政状況により鬱屈としていた1980年代の米国を舞台に、社会的弱者として虐げられた生活を送る精神不安定な道化師の男がその状況からの脱却を願いながら、不幸が限界まで積み重なった結果、劇的な状況変化が発生し、何者でもなかった男がジョーカーという特異な存在に変貌していく物語が描かれたのが前作だが、大前提としてその前作の鑑賞なしには今作の本質を理解することが極めて難しいように感じる。 アーサー・フレックという主人公に自身の辛い境遇を重ね合わせ共感する人が多かったからこそ、彼が (悪の) カリスマへと上り詰めていく物語にカタルシスがあり、それが前作の評価の高さを下支えする部分でもあったのだろう。 対して今作は、前作でアーサーからジョーカーへと変貌した主人公が、ジョーカーから何者でもないアーサーへと回帰していく物語で、前作にて主人公が獲得したカリスマが次々と悲痛な音を立てながら剥がれ落ちていき無防備で脆弱なアーサーが再び顕在するという、前作とは真逆の構造になっている。 よって、前作においてジョーカーという特異な存在の誕生とその唯一無二なカリスマ性に自己を投影しカタルシスを得た鑑賞者であればあるほど、今作のように夢も救済もない現実を突きつけられるような物語は観たくなかったと失望してしまうだろうと感じる。 正確には、少なくとも夢については、今作においてたっぷりと可視化されている。 アーサーと、レディー・ガガが演じるリー (原作のDCコミックスにおけるハーレイ・クイン) による共同幻想的なミュージカルシーンの数々がそれだ。 それらのシーンの演出は劇伴や歌唱の素晴らしさもあってとても見応えがありながら、どこか空虚かつハリボテのようにも見えて現実逃避的でもあり、それを夢想するアーサーという人間の知性と教養の限界をも同時に感じさせるという、非常に複層的でハイコンテクストな演出になっている。 リーはある意味で我々観客と同じく、アーサー = ジョーカーを抑圧された社会構造の破壊者と崇める存在として登場するが、アーサーが自身の限界に気づきジョーカーというカリスマ性を保てなくなってきたと見るや、無価値な存在だと見做し容赦なく見捨てる。 リーが見つめ続けていたのはジョーカーというカリスマであり、アーサーという人間ではなかった。 では我々鑑賞者はどうだろうか? アーサーという人間の苦悩からの脱却や成長よりも、ジョーカーの破滅的カリスマの顕現を期待していたのではないか? 前作から引き続き脚本・監督を手掛けたトッド・フィリップスが、今作を鑑賞する観客の反応を予見し、その非情をリーという存在に投影しながら演出していたかのようにすら感じる。 「フォリ・ア・ドゥ (共有精神病性障害)」という副題は、劇中においてはアーサーとリーが夢想した悪のカリスマ達 (ジョーカーとハーレイ・クイン) が君臨する世界と解釈することができる。 が、トッド・フィリップス監督の真の意図は、前作における主人公の物語や存在を過度に神格化し、我々の実社会へも (架空の存在であるジョーカーの言動を模倣する者達の登場によって) 侵食するほどの影響そのものを指して、それこそが我々の社会が内包する巨大で虚しい幻想であり病なのだと切り捨てることだったのではないか。 世間の評価が真っ二つに分かれることが初めから宿命であったかのような、極めて特殊な作品だ。 私は前作・今作を合わせた二部作としての物語構造の美しさに感銘を受けたし、とても価値のある映画だと感じる。 https://filmarks.com/movies/104708/reviews/190967999
- 映画コラム: ウィルヘルムの叫び | Wilhelm Scream
効果音は、映画を構成する重要な演出要素だ。 視覚効果や劇伴と比較するとなかなか注目されにくい効果音だが、その存在価値の高さが確立されたのは、1977年に公開された「スター・ウォーズ 新たなる希望」だといわれている。 サウンドデザイナーという職種を初めて名乗り、映画業界にその役職を定着させた功績を持つベン・バートによって生み出されたライトセーバーの動作音や様々なキャラクター達の声、そして戦闘機や戦艦が宇宙空間を移動する際の轟音といった数々のオリジナリティに溢れる効果音は、スター・ウォーズというシリーズが持つ唯一無二の世界観を構築する大切な要素といえる。 そのベン・バートが映画業界に定着させた、もうひとつの文化 (ミーム) がある。 「ウィルヘルムの叫び | Wilhelm Scream」と呼ばれる、男性が絶叫する効果音だ。 名称だけではピンとこなくとも、その実際の声を耳にすれば「どこかで聴いた気がする!」と感じる人が多いはず。 その起源は1951年の映画「遠い太鼓 | Distant Drums」にまで遡る。 ある兵士が劇中でワニに襲われ水中に引きずり込まれる際に発する悲鳴として録音された「ワニに噛まれた男が叫ぶ | Man getting bit by an alligator, and he screams」という効果音が、後に「ウィルヘルムの叫び」と呼ばれるミームの原典。 その悲鳴を演じたのは、当時俳優やカントリー・ミュージシャンとして活躍していたシェブ・ウーリーという人物らしい。 その2年後の1953年に公開された「フェザー河の襲撃 | The Charge at Feather River」という西部劇映画に登場する、ウィルヘルムという名前の兵士が矢で太ももを撃たれた際に「ワニに噛まれた男が叫ぶ」の効果音が再び使用されたことから、「ウィルヘルムの叫び」という名称が映画業界に定着したのだという。 名称の定着以降、「ウィルヘルムの叫び」は1950〜60年代の様々な映画で使われてきたが、それが一気に知名度をあげることになったきっかけは、冒頭にあげた「スター・ウォーズ 新たなる希望 (1977)」だ。 ベン・バートは、主人公達と敵対する銀河帝国の兵士が足場から転落する際の断末魔の叫びに「ウィルヘルムの叫び」を使い、それは様々な効果音が開発・使用された同作の劇中でも特に耳に残る強い存在感を放っていた。 幼少期に「スター・ウォーズ 新たなる希望」を鑑賞した自分も、子どもごころに「なんだかすごく奇妙な声をあげながら落ちていった兵士がいたなぁ」と感じ、その後も長く記憶していたほどだ。 ベン・バートはその後に製作へ参加した作品でも「ウィルヘルムの叫び」を好んで使い続け、「インディ・ジョーンズ」や「グレムリン」といった有名映画でも「ウィルヘルムの叫び」を聴くことができる。 この「ウィルヘルムの叫び」を使う行為がハリウッド映画業界内のジョークとして浸透し、映画マニアとして有名なクエンティン・タランティーノといった映画監督や、新しい表現手法の確立に挑戦し続けつつ映画の伝統も重んじるピクサー作品のサウンドデザイナー達の間でも、自身の作品に「ウィルヘルムの叫び」を忍び込ませるという遊びが流行した。 そして、映画だけではなくテレビ番組やゲームにまでその遊びが広がり、これまでに確認されたものだけでも、400以上もの作品で「ウィルヘルムの叫び」が使用されているという。 映画の物語の本筋とは全く関連しないミームでありながら、映画をこよなく愛する製作者達と鑑賞者達だけが無言のアイコンタクトで以心伝心できるような、ささやかな遊びが「ウィルヘルムの叫び」だ。 「ウィルヘルムの叫び」は今も様々な作品で使われているが、いつ聴こえてくるか予測できないので、油断は禁物だ。 その声が聴こえると、いつも不意打ちに驚かされると同時に、ニヤニヤと笑ってしまう。 そして、こういった製作者達のイースターエッグ的なおふざけがベン・バートという偉大なクリエイターによって定着し、映画という巨大な文化の中で今も続いていることを、とても面白いと感じる。
- 宇宙探索編集部 | Journey to the West (2023)
4.9/5.0 中国の若手映画監督コン・ダーシャン (孔大山) による初の長編で、中国の映画祭で多数受賞しただけでなくアジア各国の映画祭でも話題になった作品。 SF雑誌「宇宙探索」編集長の主人公が、中国の辺境にある村で発生した怪現象の真相解明のため、その編集部員達を連れて現地へと旅する物語。 80〜90年代に実際に存在した宇宙ブーム時代に創刊された「宇宙探索」の編集部が、いまや廃刊寸前の困窮状態という、いきなりピンチな導入からぐっと惹き込まれる。 宇宙人の存在探求に人生を注いだ (注ぎ過ぎてしまった) 主人公が完全に浮世離れしてしまっていることに対し、いい加減に現実と向き合えと冷たくあたりながらも、そんな主人公にずっと寄り添い続けてきたのだろうと分かる編集部員のキャラクターがとてもいい。 どう見ても人間としてギリギリな主人公を筆頭に、誰ひとりまともではなさそうな他登場人物達への愛ある描かれ方が素晴らしい。 描かれるほとんど全ての人物やモチーフが情けない空気を纏っていて、終始真剣な主人公とダサ過ぎる状況のギャップで起きる気まずい空気が本当に面白く、一般的なコメディ映画とは趣が異なった笑えるシーンが何度もある。 中国の代表的な物語「西遊記」の英題「Journey to the West」が副題に添えられてある通り、一行による中国西部への奇妙な旅がドキュメンタリーを模したスタイルで描かれるのだが、そこで映し出される中国辺境の村々の埃っぽさや圧倒的なスケールのロケーションがとても魅力的。 主人公のキャラクターの参照元は三蔵法師で、旅の途中で一行に合流する謎めいた予言青年は孫悟空、そして三蔵法師が天竺で授かる経典の教えが、今作において主人公がどうしても知りたいと願い、宇宙人に取材したかった真理なのだろう。 作品のタッチは一見オフビートなロードムービーで、手持ちカメラによるドキュメンタリータッチの画づくりをベースとしていて、撮影と編集の知識を持たない素人が製作したように見える稚拙なアングルやジャンプカットが多くありながら、実はカットの連続性や視点誘導等が計算されていて、物語に没入できるよう徹底的に配慮されている演出に驚かされる。 それに加えて、各章の扉画や重要なシーンでは、ドキッとするほど美しいアングルとレイアウトが唐突に入ってくる。 アートディレクションとテンポの緩急を完全に理解した製作者達による、作品全体を俯瞰で捉えたうえでのハイレベルな演出設計だ。 楽曲に関する演出センスも全篇を通して秀逸で、オープニングタイトルで流れるショスタコーヴィチのワルツ第2番 (キューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」でも使われている) の使われ方も皮肉的に壮大で楽しいが、エンディングで流れるスー・ユンイン (蘇運瑩) というシンガーソングライターによる「生活倒影」の歌詞と旋律が作品鑑賞後の読後感をより強くし、また涙が出るほど感動してしまった。 なぜ主人公が狂信的なまでに宇宙人の存在に固執し、その存在との邂逅を願ってやまないのか。 序盤においては劇中の登場人物達と同じように理解も共感も難しく、憎めない変人といった視点から鑑賞していたが、終盤においてはその真意が分かると同時に、涙が出るほど共感してしまった。 私たちが宇宙に存在する意味とは何かという、極めてSF的でありながら人間にとって原初の謎に対して主人公が最後に見出す答えが、素晴らしく詩的で、このうえなく美しい。 この映画の物語が詩そのものであるといってもいいだろう。 観る人を選ぶ種類の作品かも知れないとは思いつつ、センス・オブ・ワンダーが秘められた物語が大好きで、かつカッコいい人々の成功譚よりもダサい人々の哀愁ある物語を好む自分にとっては、これからも何度も観返したいと思う、とても大切な作品になった。 https://filmarks.com/movies/102086/reviews/189325276
- ロボット・ドリームズ | Robot Dreams (2023)
4.2/5.0 米国の作家サラ・バロンによる同題のグラフィックノベルを原作とする、スペイン・フランス合作のアニメーション映画。 監督を務めたスペイン出身のパブロ・ベルヘルにとっては、今作が初の長編アニメーション作品とのこと。 舞台は1980年代のニューヨーク、孤独を感じながら都会に暮らす主人公は犬で、名前もドッグ。 もうひとりの主人公ともいえるロボットとドッグの出会い、友情、もしくは愛情が、セリフやナレーションを一切排した演出で丁寧に描かれる。 あるきっかけからドッグとロボットが離ればなれになってからが物語の核心ともいえるが、その描かれ方がとても秀逸。 表情や楽曲で悲壮感を前面に出すような貧相な演出では全くなく、むしろ状況や心境の変化が淡々と描かれるからこそ、切なさの輪郭がより明確に見えてくる。 ドッグとロボットが2人で過ごしていた頃の、慎ましくささやかな幸せの描写との演出の落差が巧み。 作品タイトルの意味が少しずつ理解できてくる展開に、心が苦しくなる。 どんな理由がそこにあったにせよ、大切に想っていた誰かと離れて暮らすうちに、それぞれの事情や感情は変化していく。 愛は憎しみに変わるといった単純な話ではなく、想いは残りながらそれ以外の感情に形を変えることも、他の誰かに対してより大きな想いを寄せることになる場合もあるのだ。 そんな感情の機微のリアリティがドッグとロボットを通して繊細に描かれていて、どちらのキャラクターに対しても共感する部分があり、心を打たれた。 何よりも、劇中で印象的に用いられるアース・ウィンド&ファイアーの名曲「セプテンバー」は、この作品を鑑賞した多くの人の心に残るだろう。 曲調の素晴らしさと切なさはもとより、その歌詞は、ドッグとロボットが過ごしたかけがえのない日々そのものを描いているように感じる。 https://filmarks.com/movies/112460/reviews/200966599









