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Updated: May 8, 2019



告別 / 宮沢賢治 (1925年)

おまえのバスの三連音が

どんなぐあいに鳴っていたかを

おそらくおまえはわかっていまい

その純朴さ希みに充ちたたのしさは

ほとんどおれを草葉のようにふるわせた

もしもおまえがそれらの音の特性や

立派な無数の順列を

はっきり知って自由にいつでも使えるならば

おまえは辛くてそしてかがやく天の仕事もするだろう

泰西著名の楽人たちが

幼齢弦や鍵器をとって

すでに一家をなしたがように

おまえはそのころ

この国にある皮革の鼓器と

竹でつくった管とをとった

けれどもいまごろちょうどおまえの年ごろで

おまえの素質と力をもっているものは

町と村との一万人のなかになら

おそらく五人はあるだろう

それらのひとのどの人もまたどのひとも

五年のあいだにそれを大抵無くすのだ

生活のためにけずられたり

自分でそれをなくすのだ

すべての才や力や材というものは

ひとにとどまるものでない

ひとさえひとにとどまらぬ

云わなかったが、

おれは四月はもう学校に居ないのだ

恐らく暗くけわしいみちをあるくだろう

そのあとでおまえのいまのちからがにぶり

きれいな音の正しい調子とその明るさを失って

ふたたび回復できないならば

おれはおまえをもう見ない

なぜならおれは

すこしぐらいの仕事ができて

そいつに腰をかけてるような

そんな多数をいちばんいやにおもうのだ

もしもおまえが

よくきいてくれ

ひとりのやさしい娘をおもうようになるそのとき

おまえに無数の影と光の像があらわれる

おまえはそれを音にするのだ

みんなが町で暮らしたり

一日あそんでいるときに

おまえはひとりであの石原の草を刈る

そのさびしさでおまえは音をつくるのだ

多くの侮辱や窮乏の

それらを噛んで歌うのだ

もしも楽器がなかったら

いいかおまえはおれの弟子なのだ

ちからのかぎり

そらいっぱいの

光でできたパイプオルガンを弾くがいい

- - -

「君を弟子だと思ったことは一度もないよ」

と言われながら、それでも僕にとって

いちばんの師匠だと慕い続けてきたひとから、

この詩を贈って頂けたこと、本当に嬉しかった。

この詩のことについて、

これまで一度も師匠と話したことがなかった。

何しろ僕と師匠の会話は、

いつだって最小限だったから。

それでも僕は、この詩をよく知っていた。

なぜなら僕も、この素晴らしい詩を学生時代に知って以来、

これをいつも心の戒めに、そして支えに、

いままで頑張ってきていたから。

孤立を恐れず、 手間を厭わず、

逆境に妥協せず、

誰よりも深い想いを持って、

言葉少なに天才的な発想を示し皆を唸らせ、

いつも新しい世界を見せてくれたあの人は、

僕のいちばんの師匠だった。

そして、あの人を最も慕う弟子が、僕だった。

それが僕の誇りだ。